スイス人のクリスマス

教会に足を運ぶ人はいるか?

毎週日曜に礼拝に行っている人は、当然のことながら教会に足を運びますが、若い人や特に宗教にこだわりを感じていないスイス人はほぼ行かないようです。以前、日本はキリスト教の国ではないから、礼拝はなく商業的なクリスマスだけだと言う話をしたら、現代スイスも大して変わらないよと言われました。街中はクリスマスセールばっかだろ?と。確かにそうかもしれません。

ちなみに、自分はキリスト教信者ではありませんが、日本でプロテスタントの高校に通っていたので、毎週聖書の授業もあり、礼拝も朝礼の際にありました。賛美歌も毎週歌っていました。スイス人からするとおかしなことでしょう。キリスト教徒でもないのに、そんな学校に通い聖書に触れるなど。

それでも、他の学校ではない別の宗教に触れる機会に興味を覚えるものではありましたし、それがマイナスになったことはありません。むしろ海外に出た自分にとっては、こちらの文化に馴染む際にもほぼ違和感なく受け入れることが出来た気がしています。

スイスでは、それほど熱心なキリスト教徒でなくても、教会での洗礼を子供のうちに受け、中学生くらいになると同じ教会に属する同年代の子供達と合宿に行きます。近所の知り合いは、子供をドイツのベルリンまで合宿に送っていました。合宿に行くまでには、いわゆる授業のようなものもありますし、やはりキリスト教の国なんだと再認識します。

宗教は心のよりどころ

どんな宗教でも、結婚する際やお葬式の際、儀式というものがあります。それこそ、無宗教の人ですら、「自分が死んだら、遺灰は川に流してくれ」というような人もいて、それもその人なりの儀式でしょう。

宗教とは何か?誰かが「宗教は心のよりどころ」だと言ってましたが、確かにそうかもしれません。またある人は、その人に試練が訪れた時に、「信心深い人は、本当に強いのだ」とも言っていました。神様を信じて、この試練を乗り越えるのだから一人ではない。孤独を感じないのだそうです。

解釈は人それぞれですが、そうした強い信念みたいなものを宗教を介して持っている人は、イエス様の力を借りて乗り越えることができると信じています。なので、普段から礼拝に行き、何かあった際は報告に行き、お礼参りをする。そういうことなんだと思います。日本の文化では、それが先祖のお墓参りに近いのではないかなと思います。おそらくどの宗教でもそれは同じでしょう。

クリスマスが苦手な人もいる

これだけ、重みのあるクリスマスですので、苦手な人もいます。例えば、知人に難しい家庭環境で育ったスイス人がいますが、家族というテーマそのものが苦手。クリスマスは本当に誰にも会わないようにしているのだとか。また、親と疎遠になってしまっている人、離婚してしまった人も苦手だという人がいます。

こうした時期ですから、家族を失うということも大変辛い出来事になります。先日、友人のお父さんが亡くなってしまいました。中年になっても、一緒に休暇に行ったり、毎週末家族で食事をするような仲のいい親子でしたので、このクリスマス時期の訃報はさぞ辛いことと思います。

きらびやかなクリスマスの飾りの裏では、色んな人の色んな人生が垣間見え、12月は1年の最後の特別な月だとつくづく思います。1年を振り返る時期でもあり、考え事も増える年末。毎年怠け気味のクリスマスカードでも書いてみようと思います。