Grüezi 100号記念インタビュー(Altdorfから25年)

スイス建国の地から発信

野嶋さんにとって、Altdorfはどんなところでしょうか?

野嶋さん1985年に初めてアルトドルフに来ました。スイス人の彼女と付き合い始めた年ですが、彼女の両親が当時、隣町Flüelenに住んでいました。付き合っている相手が住んでいるカントンで、しかもウィリアム・テル伝説の残る地方、テルの銅像が立つ町ということで最初から気に入りました。

 その後、『グリエツィ』を創刊するに際し、スイス建国の地から発信する生活情報交流誌を自ら意識するようになり、そのことは、宣伝効果も含め、大いに役立ったと思います。『グリエツィ』という誌名と合わせて、『グリエツィ』に何ほどかの「付加価値」を生んだようにも思います。

 『グリエツィ』と直接関係ありませんが、私自身がウーリ州アルトドルフに住んでいることで、いろんなところで、「私はアルトドルフに住んでいますが、妻はウィリアム・テルの孫の孫の孫Ur- ur- ur- urenkelin)です」と話をすると、大いに笑いを取ることができ、それをきっかけに会話がスムーズに進む恩恵に浴しています。(笑)

(写真はカントンU R Iの新聞で紹介された野嶋さん)

これからの目標などがあれば教えてください。

野嶋さん現在の形の「紙媒体」で継続していくことが目標です。あとはどこまで継続できるかでしょうね。

 100号達成の記念として、初夏にハイキング(「スイスの道」の一部。https://www.erlebnisregion-mythen.ch/de/erlebnisse/sommer/weg-der-schweiz/ 独・仏・英語)を企画しようと思っています。これは、集合場所と時間、コースだけ決めて、一緒にスタートし、目的地まで歩くだけの企画ですが、『グリエツィ』第101号(2023年春号)で案内しますので、ハイキングの好きな方は是非参加してください。

 なお、『グリエツィ』誌を見たことのない方や定期購読していない方で、興味のある方は、『グリエツィ』誌宛、ご連絡ください。見本誌をお送りします。

野嶋 篤 
E-mailap.nojima@bluewin.ch

 それでは、今後ともご支援のほど、よろしくお願いします。

インタビューを終えて

スイス生活を始める上で、私もお世話になった日本語新聞グリエツィ。いつも読みながら、野嶋さんの人柄あふれた取材と視点で、楽しく読ませていただいています。今では、海外生活ということもあり、手にとって読む日本語の新聞や雑誌が少ないのも事実。紙媒体のお話も出ましたが、紙に印字された文字を読む事の良さは変わりません。

たまにスイス人の友人からバースデーカードを郵便でもらったりすると、うれしいものです。郵便受けに入っている、自分宛の手紙を手に取るうれしさは、より貴重なものになっています。そんなことを思い出させてくれるグリエツィでもあります。

また、幅広い分野で取材をしている野嶋さんの記事は、かつてフランスに住んでいた事もあるので、ドイツ語とフランス語、スイスの公用語が2つ使えると言うのも強みです。

「スイスで一番有名な日本人!」とカントンURIの新聞の見出しにもあるように、在留日本人の間では、スイスのどの地域に行っても知られた存在です。

グリエツィの成り立ちを伺う過程で、これまで知らなかった、スイスに来る前の野嶋さんのプライベートなお話なども伺えて、非常に楽しかったです。

これからスイスに仕事や留学などで来られる方も、どこかで手にするはずの日本語新聞グリエツィ。

すでに次号101号の準備も進められているようですので、今から楽しみです。

野嶋さん、インタビューを受けて頂き、本当にありがとうございました。