p5020011.jpg

シャスラぶどうの起源はエジプトに遡るという説があるが、完全には証明されていない。記録としてはっきりと残っているのは、12世紀初めキリスト教の修道僧がデザレなどのブドウ畑を開墾して、シャスラを植えて行った頃からとなっている。

当時シャスラはこの地域でファンダンと呼ばれていた。このぶどうは最初、レマン湖岸に植えられて行った。その後、ドイツ南部に植えられたファンダンはグートエーデルと呼ばれ、フランスに行ってシャスラと呼ばれるようになった。フランスではシャスラの多産性、粒の大きさなどから生食用として人気を博した。しかしワインにおいては、2級品的な位置に甘んじることになった。

シャスラで作られるワインは、スイスの土壌、気候にのみその良さが発揮されるといわれており、シャスラワインは、スイスワインの代名詞的な存在でもある。レマン湖は南岸がフランスのサヴォア地方となっており、このスイスに接するサヴォアで作られるシャスラワインは、スイス以外でも評価が高い。フランスでは他にアルザスとロワールでワインが作られている。

しかし、一般に生食用ぶどうで作られるワインは低く扱われがちで、フランスでシャスラが生食用の地位を確立するとともに、シャスラワインは単にシャスラという名によって低く扱われるという憂き目にあった。

特に、ヴォー州産のワインがその憂き目にあった。というのは、ヴァリス州産のシャスラワインは、ファンダンという名称を商標にしており、ラベルにはシャスラという名が出てこないからだ。

ヴァリス州のシャスラの歴史はヴォー州より下り、スイス連邦が誕生した19世紀中頃から急激に広まって行った。そしてファンダンという名称で販売を始めた。その頃、ヴォー州のシャスラワインは、例えばデザレなど、作られた土地の名前で売られていた。

20世紀初頭に、ヴァリス州のワイン業者が「ファンダン」を商標としたため、それまでファンダンという名前に注意を払っていなかったヴォー州のワイン業者は、シャスラ産のワインに「ファンダン」という名前を使えなくなってしまった。

そこで、フランスで呼ばれていた「シャスラ」という名前を使わざるを得なくなったのだが、これがヴォー州ワインの販売の足を引くことになったのだ。シャスラはフランスでは二流ワイン。そのイメージが災いした。

現在、ヴォー州はファンダンに対抗して、テラヴァンという呼称を導入して、シャスラワインを含む白ワインの質の向上に努めている。因みに、赤ではヴォー州が「サルヴァニャン」、ヴァリス州では「ドール」という呼称が知られていて、両者ともアペリティフに向く気軽なワインとなっている。ヴァリス州のロゼではドール・ブランシュという名前で売られるものがある。両州とも、ピノ・ノワールのみで作るロゼには「ウイユ・ド・ペルドリ」という呼称をつけている。