差別を意識したのは最初の海外生活

スイスでも露骨な差別はある

自分がスイスに来た当初、ドイツ語はほとんどできませんでした。幼稚園児の言っていることすら理解できずに、情けなく思ったのを覚えています。英語でなんとかなると言っても、友人以外では、日常生活で英語を話してくれる人はあまりいませんでした。自分の場合は、当初、特にスーパーなどのお店で露骨な差別を感じました。レジに並び自分の番になったら、ドイツ語で「こんにちは」と挨拶をしますが、ある女性店員だけは、毎回無視されました。これ見よがしに、自分の前の客にはものすごく愛想よくしているのに、自分の番になると、目も合わさず挨拶しても無視。気分が悪いので、別のレジに並びますが、そちらの店員さんはごく普通の対応で挨拶もします。単なる無愛想ではなく、明らかな差別を感じ、がっかりしました。

今ではスイス在住歴も長くなり、そうしたことはあまりないですし、あっても言葉を覚えたので、十分対応はできます。やはり差別の対象はアジア人よりも中東やアフリカ、東ヨーロッパの人に向けられている気がします。近年のアフリカ難民の流入やイスラム過激派テロなども影響していますし、小さな事件はしょっちゅう起きています。これはスイスだけではなく、欧州全体の問題です。そうした状況に脅威を感じ、差別意識が生まれてしまいます。

ドイツでも生活するが

その後、お隣ドイツにも数年暮らす経験をしました。ドイツでも残念ながら差別はありました。わかりやすいのは、いろんな場面において、常にドイツ人優先で、自分は後回しにされる事が多かったです。ただその頃はドイツ語がある程度できたので、はっきりと文句を言うと、強気なドイツ人も割と素直に謝る人が多くて非常に驚きました。きちんと主張するという文化は確かにあるので、それに対しては、相手が正しければ認めるという事でしょうか?もちろん、ここに書いているのは、個人的な経験ですので、全く違う経験をした人もいる事でしょう。

外国人として生活をするということは、どうしても立場が弱くなります。つまり差別される側になってしまうことはある意味事実です。日本にいた頃は、そうした経験は当然ないので、いろんな意味で勉強になりましたし、若い頃に経験しておいて良かったと思います。年をとるとそうしたこともなかなか受け入れられなくなり、頭でわかっていても、自分の中で経験として消化できません。

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