15世紀頃、ワインの全盛期を迎えたヨーロッパであったが、その後量
的には減少していった。まず打撃となったのがペストの流行だった。1
4世紀中頃から始まりヨーロッパの人口の4分の1を奪ったというペス
トは農業をも衰退させた。さらに30年戦争などの戦乱が拍車をかけ
た。そしてワインも量より質の時代を迎え、北方のブドウ畑は姿を消し
た。

歴史が中世から終わりを告げて、近代に入る頃、ワインも科学の恩恵を
受けることになり、醸造学が確立していった。醸造学の父、パスツール
は酵母の働きを解明し、顕微鏡で発酵中のワインを観察しただけで、そ
の味を言い当てたという伝説が残っている。

それと呼応するように、記念的な当たり年、1811年が訪れ、丹念に
作るワインの素晴らしさをヨーロッパ中の人が知ることになった。この
年、その素晴らしさのため、エーベルバッハ修道院で「カビネット」ワ
インが生まれ、ドイツワイン格付けの礎となった。

続いて、1855年ボルドーワインの格付が行われ、ワインが輸出用の
高級商品としての地位を築いて行くようになった。こうしたワイン文化
の発達に陰を落としたのが、アメリカよりもたらされた病害虫フィロキ
セラだった。1860年代に被害が広がり始め、まずはフランスのブド
ウ畑が破壊される。わずか20年の間に、約百万ヘクタールのブドウ畑
がフィロキセラによって破壊された。

スイスも19世紀末よりフィロキセラの被害に遭っている。この甚大な
被害は、アメリカのブドウ樹が免疫を持っていたため、これを台木にし
て従来のブドウ品種を育てるという方法で徐々に食い止められていっ
た。スイスのティチーノ州では、このフィロキセラ対策の為に輸入され
たアメリカーノ種が、生食用に適している事から、生食用にも広く栽培
されている。最近ではこれから造られる独特なワインも販売されてい
る。アメリカーノ種の持つ独特な芳香が喜ばれ、ワインだけでなく、グ
ラッパの原料などにも用いられている。

このフィロキセラの克服と時期を同じくして、現代のワインが生まれ
た。それはスチール製発酵槽の発明からであった。それまでのワインは
出来不出来の差が激しくあった。同じ醸造者でも、発酵用の木樽が違え
ば味が違うというのが当たり前だったのだが、この発明によって品質が
一段と向上、そして安定していった。

昔は、いい出来のものが逸品として王侯貴族に飲まれ、不出来のもの
(こちらの方が多い)が一般庶民に出回っていた。それが現代ワインと
なって、昔なら王侯貴族が飲んでいた、いい出来のものが一般庶民にも
渡るようになったのだ。

さらに醸造学や栽培学が向上し、一貫した科学的な管理の元に、常に最
良の品質のものが生産されるようになった。今や人に管理出来ない問題
は天候を残すのみとなったとも言われる。しかし、天候の悪い年でも、
醸造家は悪いなりに努力をして、生産量を落とすなどの犠牲を払いつ
つ、一定の品質を世に出すようになっている。

現代科学の恩恵はスイスワインも受けている。スイスのワイナリーを訪
ねると、その醸造所にはスチールタンクが立ち並んでいる。そしてそれ
を熟成させる樫樽の熟成庫が続いている。スイスワインの代表ぶどう品
種、シャスラで造られる白ワインは、きっちりと温度管理がされ、とて
もフルーティに仕上げられる。それは恐らくは、昔なら王侯貴族でしか
楽しめなかった味なのかも知れない。

余談であるが、あまりにも科学的な管理に抵抗を感じる醸造家もおり、
昔ながらの木製発酵槽を使って、細心の注意を払いながら良質なワイン
を造ろうと努めている醸造家も少なからずいる。昔に立ち返ることも、
醸造家の腕の見せ所となっているのだ。