相次ぐテロと戦うスイス

またもや凄惨なテロが起こってしまった。観光客で賑わうバルセロナで、人垣に自動車で突っ込み15名の命が犠牲になった。
昨年も同じ海岸沿いのニースで同様のことが起きている。

どんなやり方であろうと許されない無差別なテロだが、この週末、たまたま友人に招かれていた関係で多くのスイス人と話す機会があった。
スイスではこうした無差別なテロがあまり起きないのはなぜか?という話題になった。ある友人の知り合いに、スイスの警察内のテロ対策の部署で勤務する人がいるとのことで、直接の知り合いではないが、話を聞くことができた。

まず、あまり嬉しいことではないが、スイスは、テロリストが情報収集、綿密な計画をする場所として、多くのテロリストが潜伏しているということ。そして、欧州各地に散らばった同志に指示を出し、実行に導く、いわば司令塔がスイスに存在するということだ。加えて言えば、ここスイスでテロを実行してしまうと、以後、情報収集などの活動ができなくなるため、起こりにくくなっているという話もしていた。
スイス警察もこの存在を把握しており、大きく報道はされないが、かなりの数のテロ計画を潰すことにも成功しているそうだ。それでも撲滅は難しい。
スイスがテロと戦うというのは、こうした水面下でのテロ活動の事前阻止、テロ計画情報の把握ということ。

スイスだけではなく、数年前にもイタリアのサルデーニャ島でテロ組織のアジトが発見され摘発されている。難民と同様に、アフリカ大陸から欧州に入る入り口がイタリアの島になっていることはよく耳にする。その後は陸路で北上するのみだ。

とにかく、テロのニュースを聞くたびに、またか、とうんざりする。と同時に、いつどこで起きてもおかしくない欧州に住んでいることも自覚する。
人混みにはなるべく行かないとか、駅や空港では十分注意するとかも大事であるが、無差別テロの前ではいくら注意したところで、運が悪ければ被害者になってしまう。
テロが起きているのは、危険な戦地ではなく、普通の穏やかな観光地や街だから、本当に気をつけようがない状態になっている。

テロリストの思想にはここでは触れないが、実行犯が洗脳された若者だった事を聞くと、怒りを通り越して行き場のない虚しさしか残らない。
彼らの思想がどうであっても、無差別テロ行為は到底正当化できない。