お墓参り

スイスのお墓は花でいっぱい

 義理の両親のお墓は、自分が住んでいる隣町にあります。行こうと思えばすぐ行けますが、なかなか忙しいこともあり(言い訳です)行けないことが多いです。
ここ数日で天気も良くなり、週末にお墓参りに行って来たのですが、この時期は墓地もお花で溢れています。専属の墓地の庭師が手入れをしていることもありますが、我が家のように自分たちでお墓の周りを綺麗にしている人も多いです。

 お墓を訪ねる度に思うことがありますが、義理の両親のお墓の花を入れ替えている人がいるようです。それが誰なのかはわからず。おそらく、義理の両親の友人や仲良くしていたご近所さんなのかなと思いますが、その方達も相当な高齢なはずで、有難いと同時に申し訳なく思っています。

お墓には期限が

 昨日は持参した花を植えて来ましたが、こうしてお墓参りに来れるのも永遠ではありません。それは、自治体によって期間が違いますが、スイスの墓地には期限があり、20年から25年でお墓は一旦整理されて無くなってしまいます。
 墓石とか、その後どうするのかわかりませんが、そんな日がいずれ来てしまうのかと思うと、もう少し頻繁に足を運ばないとなと思います。

自宅にはまだきちんと整理していないものも

 両親が亡くなった後は、遺品の整理をしましたが、写真や手紙、書類などは箱ご当地に引き取りました。時間ができると、それらを整理することもありますが、今でも色々なものが出て来ます。中でも興味を引いたのは、義父の父親の軍隊の兵役手帳です。兵役義務があるスイスですが、その任務を果たした記録が全て手書きで記載されていました。どの町のどの部隊に出向したとか、100年以上前の記録が手元にあり、博物館に展示されているような手帳です。

 もちろん、義父の手帳もありました。同じように何年何月何日のどこへ兵役の任務をして来たかが記録されています。スイスは結局ナチスの進行前に、アメリカが介入して終戦となったので、本土の被害はそれほどでもありませんでした。それでも、ドイツ国境近くのスイスの街には、誤って投下された爆弾で人が亡くなっていますし、ボーデン湖の町で育った義母などは、公園の砂場で遊んでいるときに、湖の向こう側のドイツで爆弾が落ちるのを眺めていたそうです。
この戦争には、ほぼ巻き込まれなかったスイスですが、もう少し終戦が遅ければ、スイスも本土が火の海だったかもしれません。そんな時代に生きて来た義両親の記録が遺品から見えたのは、感慨深いものもあります。
 日本で生まれ育った自分にとっては、まさに世界史の教科書の中の話ですので、それらの記録を見ながら、色々と考えました。もう直接話は聞けませんが、話したくないことも多々あったのかなと思います。