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差別を意識したのは最初の海外生活

差別を意識したのは初の海外生活で

日本に住んでいれば、ほとんどの人は差別をされることなどないでしょう。どちらかといえば、差別をしてしまう側かもしれません。それでも、自分が大学の頃までは、そうした差別のことなど意識したことがなく、相手が何人であっても、そういった差別意識はなかったと記憶しています。今思えば、子供の頃に近所の友人家族は別のアジアの国出身でしたし、中学くらいにはブラジル系の生徒も学校にいたと思います。当然高校にも2世の生徒がいましたが、その事について特に思いませんでした。ただ出身地が違うだけだという認識です。

その後、学生時分に1年間カナダに滞在しました。そこには、様々な国籍の学生が英語学校に来ていましたが、そこで初めて差別を経験します。海外なので、自分はもちろん差別をされる側です。それはホテルであったり、お店であったり、語学学校内でも少しそうした雰囲気になったことがありました。英語がまだ不自由なレベルですから、自分の語学力の無さでうまく伝わっていないのだろうと思ったこともありますが、やがてそうではない事に気がつきます。

表面的にはフレンドリーでも

お店やレストランでは、カナダ人は非常にフレンドリーでした。しかし、わざと注文を取りにこなかったり、無視されたり、入店の順番を後回しにされたり、小さな事ですが、そうした事にだんだん気がつくようになります。数ヶ月経って、自分も英語で文句を言えるくらいにはなっていましたが、そうした扱いは多々ありました。特に落ち込むようなレベルではないですが、やはり気分の良いものではありません。カナダ人家族と一緒に食事に行った際は、そうしたことは全くないので、まあ仕方ないくらいに思っていました。

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仕事場での差別意識

カナダ滞在中は、決められた時間内でアルバイトをすることが出来たので、飲食店のキッチンでアルバイトをしました。その職場では、上海出身と香港出身の中国人、韓国人、そして日本人が働いていましたが、上海と香港の出身の二人はどうも仲が悪い。二人とも中国人ですが、香港と上海では、言葉も違うし文化も違う。そうなると、馬が合いません。もちろん仲のいい人もいると思いますが、お互いなるべく口を聞かないようにしているのがわかりました。

よく日本と中国、韓国の外交上の軋轢をニュースで見ますが、政治的に見て仲は良くなくても、個人レベルでは、そうではありません。実際にこの中国出身の二人は仲が悪かったですが、二人とも日本人の自分にはすごく良くしてくれましたし、香港出身の同僚は、日本に帰る際は食事にも招待してくれました。もし香港に旅行することがあれば、俺が全て手配してやるから、必ず連絡しろとまで言ってくれました。

ただし、これが見知らぬ相手となると、状況は変わります。ある時、短期間ですが、新しい部屋を探す事になり、貸し部屋の広告を新聞で見て電話をしました。電話に出たのは、香港出身の女性。ビジネスウーマンで、綺麗な1軒家に住んでいて、そのうちの1部屋を貸し出していました。すでに別の部屋は借りられていて、そこに日本人の自分が見に行ったわけですが、部屋の案内も説明も面倒臭そうで、正直、不親切で印象は悪かったです。自分に部屋を貸したくないというのは、すぐに感じたので諦めて帰りました。案の定、別の人に決まったからという連絡がありました。

翌日、香港出身の同僚にそのことを話すと、その女性は自分の知り合いだと言います。全くの偶然ですが、同僚はすぐに彼女に電話して、自分の同僚の日本人が昨日部屋を見に行ったことを話すと、その日の夜、自分のところに家のオーナーの女性から電話があり、ぜひあなたに部屋を貸したい、家賃も割引してあげるから!と言われました。

手のひらを返したような態度に少し戸惑いましたが、結局他の部屋を見つけたので、辞退しました。人脈があるかないかで、その態度はあからさまに違います。その一回の経験で言い切るのもどうかなと思いましたが、香港の同僚が言うには、結局そういうことなんだということです。確かに、すべてのことに八方美人では、事が進みませんし、自分も苦しくなってくるでしょう。知人友人は大切にして、他はドライに対応するなんてのは、確かに日本でもあるかもしれません。ただそれが露骨なだけでしょう。この場合は、差別から区別に対応が変わったわけですが、最初から相手の国籍を見ていたことは明白でしょう。その頃からだんだん差別というものを経験し意識し始めます。

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スイスでも露骨な差別はある

自分がスイスに来た当初、ドイツ語はほとんどできませんでした。幼稚園児の言っていることすら理解できずに、情けなく思ったのを覚えています。英語でなんとかなると言っても、友人以外では、日常生活で英語を話してくれる人はあまりいませんでした。自分の場合は、当初、特にスーパーなどのお店で露骨な差別を感じました。レジに並び自分の番になったら、ドイツ語で「こんにちは」と挨拶をしますが、ある女性店員だけは、毎回無視されました。これ見よがしに、自分の前の客にはものすごく愛想よくしているのに、自分の番になると、目も合わさず挨拶しても無視。気分が悪いので、別のレジに並びますが、そちらの店員さんはごく普通の対応で挨拶もします。単なる無愛想ではなく、明らかな差別を感じ、がっかりしました。

今ではスイス在住歴も長くなり、そうしたことはあまりないですし、あっても言葉を覚えたので、十分対応はできます。やはり差別の対象はアジア人よりも中東やアフリカ、東ヨーロッパの人に向けられている気がします。近年のアフリカ難民の流入やイスラム過激派テロなども影響していますし、小さな事件はしょっちゅう起きています。これはスイスだけではなく、欧州全体の問題です。そうした状況に脅威を感じ、差別意識が生まれてしまいます。

ドイツでも生活するが

その後、お隣ドイツにも数年暮らす経験をしました。ドイツでも残念ながら差別はありました。わかりやすいのは、いろんな場面において、常にドイツ人優先で、自分は後回しにされる事が多かったです。ただその頃はドイツ語がある程度できたので、はっきりと文句を言うと、強気なドイツ人も割と素直に謝る人が多くて非常に驚きました。きちんと主張するという文化は確かにあるので、それに対しては、相手が正しければ認めるという事でしょうか?もちろん、ここに書いているのは、個人的な経験ですので、全く違う経験をした人もいる事でしょう。

外国人として生活をするということは、どうしても立場が弱くなります。つまり差別される側になってしまうことはある意味事実です。日本にいた頃は、そうした経験は当然ないので、いろんな意味で勉強になりましたし、若い頃に経験しておいて良かったと思います。年をとるとそうしたこともなかなか受け入れられなくなり、頭でわかっていても、自分の中で経験として消化できません。

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今年アメリカで起こっていた黒人への差別

アメリカは現在、大統領選挙が終わりましたが、集計に関してはまだ混乱が続きそうな感じです。誰が見ても、今年のアメリカは混乱状態でした。コロナウィルスの感染拡大も他国に比べてひどく、更には警官による黒人射殺事件が相次ぎ、SNSで世界中に拡散されました。アメリカの黒人差別は今に始まったことではありませんが、SNSを通して広まったこともあり、スポーツ選手や著名人がBLMというメッセージを発信して、全米各地のデモに発展していきました。その影響が欧州にまで届き、差別に反対するデモはスイスでも起こりました。

差別、コロナウィルス、テロと、この3つのキーワードは、今年世界中を混乱に陥れたことは間違いないでしょう。コロナウィルスの感染拡大でも、アジア系の人が当初差別を受けましたし、テロが起きると、善良なイスラム系の人たちもいわれのない差別を受けます。全てが差別に直結している気がして、気分のいいことではありません。

日本でもそうしたことは報道されていますが、果たしてほとんど差別を受けたことがない日本に住む日本人が、それをどう感じているのか?とふと思いました。特にイスラム系の人たちに関しての情報は乏しいし、ほとんど実態を知らないと思います。最近はネットのニュース記事にもコメントがつきますが、先日のアメリカの大統領選挙も含めて、そうした温度差を数々のコメントの中に感じました。メディアの報道にも流されやすいのはいまも変わっていません。

日本と欧州、アメリカはそれぞれ立場も環境も違います。アフリカや南米もそうでしょう。日本は島国、アメリカはいろんな人種が集まってできた国で、欧州は様々な文化や言語が隣り合っている環境です。単純に比較することはできませんが、その異なる国々が、今年はコロナウィルスという同じものに翻弄されているのは事実です。そうした状況であぶり出される人々の不安や感情は、悪い方向に向かいがちです。原因を探し、見つけると確証なくても迷わず攻撃をする。そうした負の連鎖を止めようとしたアメリカ人の意識が、大統領選挙の結果に僅差ですが表れたのではないかなと思います。

誰が大統領になろうと、正直、日本やスイスの一般の人の生活には何の影響もないでしょう。しかし、なんだかんだ言ってアメリカ国内の動向は発信力があり、良くも悪くも世界に影響を及ぼします。4年間、SNSを多用したアメリカの大統領でしたが、これから世界の見本となるアメリカの姿を発信してほしいと思います。

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